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CNNのニック・ロバートソンという記者のダルフール取材日記。ちゃんと確認はしていないが、CNNでテレビ放送される予定だそうだ。
2回に分けて掲載する。
Darfur diary: Rattled by red tape官僚主義に悩まされるCNN - June 27, 2008 -- Updated 1328 GMT (2128 HKT)
http://edition.cnn.com/2008/WORLD/africa/06/26/darfur.diary1/index.htmlBy CNN Senior International Correspondent Nic Robertson
(CNN) -- 我々がスーダンのビザを得たとき、私は興奮した。我々は、10ヵ月間入国審査で待たされ。私は、この10年で報道された最大のニュースのひとつになると考えているもの「ダルフール」にどんなジャーナリストもほとんどアクセスできないと2年間そして最近まで考えていた。
過去5年間で30万人が死亡したと国連は言う。それはボスニアの戦争の死者より多い。生きていくためだけの哀れな存在。フランスよりわずかに大きい地域の人々の半数以上が、援助キャンプの間に合わせのシェルターで生活している。
私は、過去の経験から、まだこれから先に困難が待ち受けているということを知っていた。ビザは首都のハルツームまで許可するが、その後、我々はダルフールへ行く許可を得るために国外情報評議会に行かなければならない。それは何週間もかかりうる。
私の本当の心配は、それがまったく受け付けられないと言うことだった。しかし、以前の訪問から、私はすでに我々が交渉のある当局の何人かを知っているという事実からいくらかの良い感触を得ていた。彼らは常に礼儀正しくて有能だった。
例によって、我々が、午前1時にハルツームに着陸したとき、国外情報評議会のオスマンは我々の資材を通関させるのを助けるためにそこにいた。大変嬉しい眺めだ。
テレビ装置をもって旅行することは決して簡単でない。しかし、上級官僚が事実をゆがめて伝えた事でリポーターを非難する国では、それは官僚主義と官僚制度を通過すのに失われる時間を意味する。あなたが今長い飛行から降りたばかりで、真夜中ならば、愉快でない。今回、オスマンは魔力を使い、我々は1時間で終わっていた。
我々は都市へ運転しながら、私は何が過去2年間に変わったか見るのを期待していた。道の側の燃え尽きたメルセデスは、良いサインでなかった。しかし少しさらに進むと、我々はゴミを拾っているゴミ収集人を発見した。ゴミ収集人!それで私は経済があまりひどくなっていないかもしれないと思わせた。それから我々は家庭機器と自動車を売っているぴかぴかの真新しい商店街を通り過ぎ始めた。これは大きい変化だった。
私は首都が国に流入し始めているオイルダラーから利益を得ていると聞いていた;今私はそれを見ている。しかし、表面的な繁栄から目をそらせば、通りはまだでこぼこで、道沿いにエンジン音を立てている薄汚い黄色のタクシーはへこんでおり、ウインドウはなく、ばらばらになる寸前だった。食物連鎖に滴り落ちるオイルダラーはあるものの、その点でそれは以前見たのと全く同じだった。
それは国外報評議会も同じことであった。2006年以来ほとんど変わっていけない。オスマンと他のスタッフはこれまでどおり魅力的で、有能だった。旧銀行のビルディングは以前と同じく、荒廃し、乱雑で、無視されていた。
我々は部屋に案内して、甘いお茶を出された。普通最初のもてなしである。暑かった、そして私は汗をかいていた。単に熱いためでなく、私はまた我々がダルフールへ行く許可を得られないことを心配してした。
オスマンの同僚、我々の担当者のようであるマイには計画があった。内務大臣イブラヒム・マームド・ハミドは記者会見を開いていた。我々はそこに急がなければならない。それは良い考えのように思えた。彼はたった今ダルフールから帰ったため、少なくとも、我々はそこで起こっていることについて政府の見解を聞けるかもしれない。
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Darfur diary: Unreliable testimony
信用できない証言CNN - June 27, 2008 -- Updated 1325 GMT (2125 HKT)
http://edition.cnn.com/2008/WORLD/africa/06/26/darfur.diary2/index.htmlBy CNN Senior International Correspondent Nic Robertson
(CNN) -- それは、全く西欧の記者会見とは違った。誰も大臣または上級警官を遮らなかった。彼らが話し終わったとき、わずかなジャーナリストが質問をした。他の記者が首都で増える交通の混沌のようなローカル問題を扱う中、地元のジャーナリストが警察になぜ殴られたかについて、彼らの一部は驚くほどタフだった。
それからマイは爆弾発言をした。私が頼むなら、記者会見を行っていた内務大臣イブラヒム・マームド・ハミドが個人的な一対一のインタビューに同意するかもしれない。
それは必ずしも私がちょうどその時望んだものではなかった。私は、ダルフールに行き、自身で状況を見て、その後厳しい質問とともに戻って来たかった。
また私はあまりいい気分ではなかった。私はものすごい暑さと数時間しか睡眠をとってないせいでくらくらしていた。乞食に選択肢はない。だから答えはもちろん「イエス」でなければならなかったが、我々は出来合いのインタビューをすることにした。
驚くべきことに大臣は同意した。最高幹部とのそのような迅速かつ容易な接触は、どんな国ででも珍しい。スーダンではその倍である。
それは私が我々が実際ダルフールにいけるかもしれないと理解した瞬間たった。もし効果的に我々の行動をコントロールする大臣が躊躇なく我々と話をするつもりなら、おそらく、我々は旅行と映画撮影のために必要とする書類を受け取るだろう。
私は、一緒に来た強力なチームがなければ準備不足だと感じたかもしれない:非常に有能なプロデューサー、サラ・サルトーン、CNN代表調査グループのアンディ・シーガルとカメラマンのスコット・マクウィニーである。
その時、ダルフールについての真実を発見しようとすることは私には重荷だった。大臣ハミドからわずか数インチ離れた椅子に座り、私は死亡した何千人ものダルフール人と彼の同僚前内務大臣アフメド・ハルーンが戦争犯罪で国際刑事裁判所から指名手配されているという事実を考えないわけにはいかなかった。
ICCによると、ハミドはハルーンを裁判につれてくるために何もしなかった。
私が大臣に尋ねたとき、彼はそのような犯罪が犯されておらず、ただ戦争事犯の「普通の」犯罪しかないと言った。私は以前に何度もこの防御の話を聞いた。私は常に広い心を保とうとするが、事実があなたに異なる何かを示すとき、それは難しい。
私は彼が他に何かを言うと本当に思っていなかったと思う。私は、私自身に、彼の証言が少しも信頼できないならば、何がインタビューのポイントなのか分からなかった。確かに罪のない生命の大量の損失の圧倒的な証拠のような事実がないとしても必ずしも全てのニュースに「別の側面」があるとは限らない。
しかしジャーナリストとして、我々はすべての見解を求めようとする。それは仕事の一部である。そして、我々がスーダンの大統領に会得ない以上、ハミドは我々が話せる最高の官僚でありそうだった。私は先に進み続けなければならないことは分かっている。
我々の30分のインタビューは、当局者が我々に時間切れだと言って終わり大臣が部屋を出るのを見送った。しかし彼はその前に我々をダルフールに行くよう招待した。私はテープにも録音した。だから私はもし許可を得ることに他で一切失敗しても、我々はある種の切り札を持っているということが分かっている。
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Darfur diary: Things are getting worse
事態は悪化するCNN - June 27, 2008 -- Updated 1324 GMT (2124 HKT)
http://edition.cnn.com/2008/WORLD/africa/06/26/darfur.diary3/index.htmlBy CNN Senior International Correspondent Nic Robertson
(CNN) -- ここ数日にわたって、政府がダルフールに我々を行かせるべきかどうか決定するのを待っていたため、我々は援助期間、UNHCR、WFP、OCHAを を回った。
彼らの言葉では、ダルフールの状況は、これまでより悪かった。
彼らは我々がそこに到着したとき、何をすべきかについて計画するのを手伝ってくれたが、まだ必要な許可がなかった。
私は心配した。
私は首都では珍しい洋食のオアシス、高級志向のオゾン・カフェのひとつで古い友人と予想外に出会って少しばかり気分のいい時間をすごした。
私は、彼に1993年にサラエボで初めて会った。彼は、レールと同じくらい痩せて、ボスニアのセルビア人収容所を逃れた。それ以来彼はハーグのユーゴスラビア戦犯法廷やアフガニスタンやイラクを含む世界の大きな人道問題プロジェクトで働いた。
彼が話すと、私は聞く。
彼は、我々が援助機関から聞いた全てのしかし悪い話を確かめた。
彼は、支援するために派遣された平和維持軍が失敗していると私に話した。ますます、我々はそこに行き、この目で確かめる必要があった。
翌日マイはよい知らせくれた。我々の許可が届いた。サラはすぐ飛行機を予約した。
国連チャーター便をヒッチハイクする代わりに、我々は民間航空で以下なければいけない。国連の誰もスーダンで民間航空を使わない。飛行安全記録は最高とはいえないのだ。
しかし我々は国連のフライトを待つため時間を浪費するための日を過ごさなかった。
我々の書類は、これまで聞いたことがないほど誰よりも速く速く届いた。
しかし恐怖は終わっていなかった。我々は北ダルフールのアル・ファシェルに向かっていいたが、そこに到着したとき、我々は再びプロセスを始める必要がある。撮影の地元の許可を得て、旅をしなければならない。
過去の経験からスーダンはもしあなたが最終的にそこに到着するならば、あなたがいこうとする、あるいは行くことができるところには実際に確実に到着できない場所だということを私は分かっていた。
我々がハルツームから飛び立った時、私はそれがどれほど真実なのか全くわからなかった。
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第二回
Darfur diary: Best of a bad situation
Darfur diary: Gearing up for war
Darfur diary: No end to the killing
Robertson: Darfur now a living hell